No.899 自己犠牲

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私の志は「日本に貢献出来る人間となること。」

そこにゴールはありません。

私の使命である「想いを伝えること」を通して

生涯この憧れを追い求めながら生きていきます!

私の人生の目的は

「人に喜ばれる存在となって

 自分自身も幸せになることです。」

 

おはようございます。

先日、ちょっと想うことがありました。

「人以って恥なかるべからず」

孟子の言葉です。

「恥を知れ」という言葉もあるように、

私達は人間として恥という気持ちを

なくしてはならないと想います。

例え誰も見ていなかったとしても、

人として恥ずかしい行為だけは慎みたいですね。

 

『自己犠牲』

 

今朝は「愛」について

考えてみたいと想います。

「愛」とはよく耳にする

馴染みのある言葉です。

人を愛する、

仕事を愛する、

国を愛する。

その対象は様々ですが、

「愛する」とは

一体どういう事なのでしょうか。

 

私は想います。

 

愛するとは

自らを捧げることである。

相手に尽くすことである。

その対象を

自分以上に大切にすることである。

つまり、

愛とは自己犠牲

なのではないでしょうか。

その対象のためであるならば

自分は不幸になっても構わない。

この命すら惜しくない。

そう想えることが

愛することだと想います。

 

ただし、

ここで補足せねばならないのは

自己犠牲という言葉の真意です。

私達は「犠牲」という言葉には

マイナスのイメージを持っているもの。

自分を犠牲にするとは

どこか被害者的な響きを感じてしまうものです。

自己犠牲という言葉には抵抗を感じる方も

少なくないことでしょう。

そもそも、

自分が犠牲になったという意識そのものが

その対象より自分を上に置いている何よりの証。

「自分は〇〇の犠牲になった」と言っている

時点でそこに愛はないのです。

 

要するに、

愛とは自己犠牲のことなのですが、

そこに自分が犠牲になったとの

被害者的意識は全くないものです。

むしろそこに喜びや幸せを感じる。

自己犠牲を

犠牲ではなく喜びと感じられる想い。

それが愛するということ。

自分以上に尊い何かに

喜んで自らを捧げること。

真に相手を愛した時、

自己犠牲の意識すらなくなってしまう。

 

その意味で

真に愛することは決して

容易なことではありません。

口で言うほど

簡単なものでもありません。

人はその生涯において

真に愛すべき対象を見つけることが

出来たならそれだけで

本当に幸せなのだと想います。

 

愛とは

自己犠牲が喜びとなる

豊かな想いである。

 

愛のある豊かな人生を生きたいですね。

貴方は何に自らを捧げますか?

私は志を成し、日本に貢献出来る人間となりました。

有難うございます!!

 

本日も最後までお読み頂き有難うございました。

心からの感謝を込めて。

「有難う。愛しています。」

中西紀二

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