私の夢は「日本に貢献出来る人間となること。」
天から授けられたこの力を世のため人のために使わさせて頂き
必ずや夢を叶えてみせます!!
私の人生の目的は
「人に喜ばれる存在となって
自分自身も幸せになることです。」
今月は秋に予定している
書籍出版の原案をまとめていきます。
よって、
基本的には以前掲載したものに
加筆修正を加えた内容となります。
どうぞご了承下さい。
おはようございます。
今日からお盆休みに入られる方も多いことでしょう。
帰省ラッシュなどであちこちが混雑する時期です。
お車の運転などは特にお気を付けて、
どうぞ素敵な連休をお過ごし下さい!
『幸 せ』
私達は幸せを求めて生きています。
幸せになるために生きているのです。
それでは「幸せ」とは何でしょうか?
「幸せ」はどこにあって、
どうしたら手に入るのでしょうか?
「幸せ」というと、
私達は何か特別な出来事をイメージしがちです。
「試験に合格した」
「部活動で優勝した」
「仕事で昇進した」
「海外旅行に行く」
「宝くじが当たった」
「結婚・出産」などなど。。
つまり、
自分の思い通りの結果が得られたときに
幸せであると認識する。
一方、
自分の平穏が脅かされるような出来事に遭遇したとき
(病気や事故、災害など)に
不幸であると感じる傾向にあります。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
私達はあまりにも平和で幸せな日々を過ごしているため
『幸せの本質』を見失ってしまっているようにすら感じます。
ここで、ある寓話をご紹介します。
海に魚が泳いでいました。
この魚は、生まれてから一度も海の外に出たことがなかったため
「一度でいいから海の外に出てみたい」
「外の景色を見てみたい」
と想っていました。
そんなある日のこと。
いつものように海の中を泳いでいた魚の眼前に
1本の釣り糸が垂らされました。
それを見た魚は
「このエサに食いついてみれば、外に出られる!」
とエサに食いついたのです。
結果、魚は釣り上げられ、外の世界を見ることが出来ました。
しかし、海の外に出てみると苦しい。息が出来ない。
その時に魚は初めて知ったのです。
「何も起きない平穏な日々が何て幸せだったのか。。。」
私達はこの寓話から学ぶべきものが多いような気がします。
私達は平和な海を泳いでいながら
「幸せになりたい」
「外の景色を見てみたい」
「もっと自由になりたい」
と嘆いているのではないでしょうか。
そう。
願いや望みが叶うことではなく、
生きていること自体が
何も起きないということが
今日という日を平穏無事に迎えられたということが
『幸せの本質』ではないかと想います。
何かを想い通りにすることや
願いや望みを叶えることが幸せなのではなく、
平和で、平穏で、静かに、淡々と流れていく「日常」こそが
『幸せの本質』なのではないでしょうか。
その意味で
私達は今、この瞬間も幸せの中にいるのです。
『幸せの本質』とは
幸せであると気付くことである。
『幸せ』は
いつも私達の心の中にあるのです。
つまり
幸せな人とは、
幸せであると感じられる人
幸せであると気付いている人
なのではないでしょうか。
家族がいる。
大切な人がいる。
友人がいる。
仲間がいる。
仕事がある。
やりたい事がある。
健康である。
食欲がある。
安眠できている。
何不自由なく暮らせている。
私達は
こんなに幸せな日々の中を生きているのです。
悩み事があったり、
ストレスを感じた時は
身近にある幸せを数えてみましょう。
身近にある幸せに感謝出来るようになると、
それまで悩み苦しんでいた自分の
不遜さが身に沁みてきます。
私達の苦悩やストレスの実に7割は
感謝不足が原因なのです。
心を自分の外側に向けて
自分の「ないもの」にフォーカスすると
不平不満が出て不幸に感じます。
心を自分の内側に向けて
自分の「あるもの」にフォーカスすると
感謝の想いが溢れてきて幸せを感じられるのです。
幸せな人とは幸せを感じられる人。
幸せな人とは幸せに気付ける人。
幸せはいつだって私達の心の中にあるのです。
私は夢を叶え、日本に貢献出来る人間となりました。
有難うございます!!
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
心からの感謝を込めて。
「有難う。愛しています。」
中西紀二