No.185 遅咲きの大花

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「私は不動産王になって日本を救います!」

「天から授けられたこの力を世のため人のために使わさせて頂きます!」

「そして必ずや日本に貢献出来る人間となります!」

私のキャッチフレーズは

「不器用だけどひたすら実直に。

 あなたの喜びが私の幸せです。」

 

おはようございます。

台風3号が発生しており、

予報では九州北部に上陸の恐れがあるそうです。

台風の進路をご確認の上、

皆様も充分に気を付けてお過ごし下さい。

 

彼は

小学校を卒業するとすぐに1人暮らしをはじめ

鉄道のボイラー係や保険外交員、タイヤの営業など

様々な職種に就いたそうです。

職を転々としたのは

常に変化を求める彼の性格が一因だったのかもしれません。

 

30歳を前にした彼は、

ガソリンスタンドの経営者として独立。

車内清掃や窓拭き、タイヤの空気圧チェックなど

アメリカ国内屈指とも言えるサービスで

アッという間に州内有数の店舗にまで成長させました。

ところが1929年の大恐慌を発端にした不景気の煽りで

彼は全てを失ってしまいます。

 

『失敗は新しい出発の機会を与えてくれる』

 

それを持論とする彼は、

39歳の時に再びガソリンスタンドの経営者として再出発。

前のガソリンスタンドの時に行っていたサービスは

今回も大好評。売上げは右肩上がりに伸びていきました。

しかし、常に変化を求め続ける彼は

「前の店と同じサービスではつまらない。

 何か新しいことをしよう!」と考え、

ガソリンスタンドに食堂を併設することを思いつきます。

彼は飲食業に就いたことはありませんでしたが

小さい頃から料理好きであったため

美味しい料理を提供する自信はあったのです。

ガソリンスタンドの片隅の小屋に作られた

小さなレストランは

家族で食事をしているかのような

温かい雰囲気が評判を呼び、

その業績は更に伸び続けます。

1937年にはガソリンスタンドの裏にモーテルを創設。

彼は地元の名士と呼ばれる存在とまでなりました。

 

その後

レストランとモーテルの経営が順調であったため

ガソリンスタンドの経営からは手を引き、

新しいモーテルを建設。

更なる事業の拡大を図ります。

このまま全てが順調に行くと思われた矢先のこと。。。

 

 

レストランと最初に建てたモーテルが火事で全焼。

 

10年かけて築き上げてきたものが

一瞬で灰になってしまいました。。。

 

しかし

彼はこの窮地を悲観することなく

「失ったのは店だけじゃないか。

 また建てればいいさ」とすぐに再起を決意。

そしてこの事件を機に

今後はレストランに絞った経営をしていくことに決めます。

その後

彼は残ったモーテルを売り払い

銀行から融資を受けて

1941年に以前よりもはるかに大きなレストランを完成。

新たな人生のスタートを切ったのですが。。。

 

 

第二次世界大戦後に大きな経済成長を遂げたアメリカは

国内の道路整備事業に取り組み始め

国道の至る処に迂回路を作り始めます。

そのためレストランの前を走る車も激減。

この店舗はかなりの大型店であったため、

人件費や光熱費が過分にかかり、

営業しているだけで赤字という状態に陥ってしまいました。

 

、、、失意の彼は

 

断腸の思いで店を売却するも、

 

税金を払い

 

借金を返済すると

 

手元にはお金が殆ど残りませんでした。

 

新しく融資を受けるにも

資産もない老人を相手にしてくれる銀行はありません。

 

 

そう。

 

 

この時、

彼は65歳となっていたのです。

 

 

この年齢になって

手元にあるのは

僅かに支給される年金額と

フォードの中古車。

そして

レストランで一番の人気メニューだった

フライドチキンのレシピのみ。

 

年金額では生活費にすら足りない状況。。。

 

彼は

65歳にして最後のビジネスに打って出る事を決意します。

 

試行錯誤の結果、

レストラン経営をしている友人に

フライドチキンの作り方を教え、

チキンが1つ売れる毎に

4セントを受け取る契約を結びます。

こうして

彼は友人の店をモデルとして

フライドチキンのフランチャイズ事業を展開。

 

 

彼が74歳となった1964年には

店舗数600

年間利益3,700万ドルを生み出すビッグビジネス

にまで成長したその店舗の名は、、、

 

 

 

 

『ケンタッキー・フライド・チキン』

 

 

 

 

 

そう。

 

 

今朝は

ケンタッキー・フライド・チキンの創始者である

カーネル・サンダースの半生を綴らせて頂きました。

 

彼は90歳でこの世を去るその直前まで

フランチャイズの拡張と品質の向上に努めたそうです。

今でもなお

ケンタッキー・フライド・チキンの『顔』であり続ける

彼の半生から学ぶものは多いのではないでしょうか。

 

『人生に遅すぎることはない。』

 

『諦めない限り、いつか夢は叶うのだ。』

 

この笑顔は

私達にそう語りかけているようにも思えます。

 

 

私は夢を叶え、日本に貢献出来る人間となりました。

有難うございます!!

 

本日も最後までお読み頂き有難うございました。

心からの感謝を込めて。

「有難う。愛しています。」

神辺照喜

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