No.670 2018年11月1日

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私の夢は「日本に貢献出来る人間となること。」

天から授けられたこの力を世のため人のために使わさせて頂き

必ずや夢を叶えてみせます!!

私の人生の目的は

「人に喜ばれる存在となって

 自分自身も幸せになることです。」

 

おはようございます。

2018年11月。

新しい月がスタートしました!

 

今朝は冷え込みましたが、

やはり4時に起床。

毎月1日恒例の10kmランニングと

氏神様参拝を済ませてきました。

これで心身共にリセット完了!

今月も幸先良いスタートを切ることが出来ました。

早いもので今年もあと2ヶ月です。

お互いに今月も素晴らしい月にしましょうね!

 

毎月1日は本ブログの趣旨を

書かせて頂きたいと思います。

 

少し長くなりますが、

よろしければお付き合い下さい。

 

私は

昭和49年8月に

福岡県朝倉市に生まれました。

兄弟は3人。

姉と妹に挟まれた長男坊です。

両親と祖父母、私達3人兄弟の7人家族でした。

家は商売を営んでおり、

大学進学を諦めて家業を継いだ父は

学歴にコンプレックスを抱えていて、

私に過剰な期待を寄せていました。

分かり易く言えば、

勉強もスポーツもNo.1である「スーパーマン」たれと

期待されていたわけです。

一方、母はと言うと、

同居する祖父母に気を遣うばかりで

子供達に対しては放任状態でした。

父からのプレッシャーと母親の愛情不足に耐えながら

幼少期を過ごしたおかげで、

私は自分の感情を抑え込むようになりました。

加えて、

私は勉強もスポーツも苦手でした。

今振り返ると、

小学校高学年の頃、

母親の財布から現金を抜いたり、、、

万引きがやめられなかったり、、、

というのは

自分の感情を抑え込み過ぎた反動だったと言えるでしょう。

 

勉強もスポーツも苦手で

父の期待に応えきれない私は、

年齢を重ねる毎に

自信を失い、

母の愛情に飢えていたことで、

自分を愛する事が出来ず、

自分が嫌いで、

自己否定の塊となっていきました。

そんな自分の心の溝を埋めようと、

クラスでは明るく振る舞い

目立つ存在を演じ続けました。

父の期待に応えたくて始めた野球。

別に好きでもなかった野球。

それを一生懸命続けていました。。

 

そうして迎えた中学3年のとある日。

当時の私は、野球部キャプテン兼生徒会長です。

野球は補欠で、成績も中の下ぐらい。

それはそれは重い十字架でした。

 

その日、

 

突然。。。

 

何もかもがイヤになり、

それから学校に行けなくなりました。

 

野球部キャプテンで、しかも生徒会長が登校拒否。

前代未聞の不祥事です。(笑)

 

 

思春期の私は、

 

 

本当に

 

 

本当に

 

 

本当に

 

 

傷付きました。

 

 

 

 

そのストレスで、、、

過食症気味となり

体重も100kgを超えてしまう有様。

私は心身共にコンプレックスを抱えるように

なってしまいました。。。

 

どうにかしてギリギリ入学出来た高校。

敢えて地元を離れ、

誰も自分の事を知らない環境でやり直したかった。

だけど、

原因は周りの環境ではなく

自分自身の中にあります。

 

結局、

高校も行ったり行かなかったりで、

全然楽しくありませんでした。

 

 

そう。。。

 

 

私には

 

青春時代がないのです。。。

 

人生において

 

一番楽しくて

 

キラキラした時間が

 

ないのです。。。

 

 

父の期待に応えるために一浪の末、入った三流大学。

ここでも「入学すること」が目的であったため、

入学した途端、腑抜けのようになりました。

 

 

とにかく

 

 

孤独でした。

 

 

寂しかった。。

 

 

自分の感情を抑え込んでいる上に、

自分が嫌いで、

コンプレックスの塊となった私は

人と話すと

自分と比較してしまって

傷付いてばかりです。

いつの間にか

人とコミュニケーションが取れなくなっていました。。。

友人も出来ず、

大学は卒業式すら出ていません。

自分の中にポッカリと空いた

大きな穴を埋めようと、

難関資格に挑戦したり、

ボクシングジムに通ったりするも

全て挫折。

決定的だったのは

大学卒業後にフリーターとして働き出した

ホテルマンの仕事。

「この仕事に賭ける!」そう決意して働き出すも

1ケ月弱で挫折。

無断欠勤をして

やめ方も最悪でした。。

 

 

それから私は

約1年間

引きこもりとなります。。。

 

 

 

この頃が人生で一番辛かった。

 

 

 

死にたい

 

 

 

死にたい

 

 

 

死にたい。。。

 

 

 

 

 

自殺未遂をしたのはこの頃です。

その後、紆余曲折を経ながら

何とか人生を立て直し、

定職につき、

結婚もして、

子供にも恵まれました。

 

しかし、

過去に囚われていた私は、

自分に自信がなく、

自分が嫌いで、

人生に絶望しながら、

夢も希望もない。。。

それでも

何とか生きているという状態でした。

 

当然、

自分を愛せない人間が

他人を愛せるわけもなく

妻とも感情のすれ違いばかりです。

 

そんな私ですが、

40歳になった辺りから

出会いに恵まれるようになってきました。

 

 

今、改めて思います。

 

 

 

人との出会い

 

本との出会い

 

言葉との出会いが

 

人生を変えると。。

 

 

 

 

そうして迎えた

2016年3月27日。

 

運命の日。

 

 

41歳の私はある研修を受け、覚醒したのです。

長い間

私を制限していたものから解放された瞬間でした。

 

 

私は自由だ。

 

 

私は自分の事を何も知らない。

 

 

私の可能性は無限なんだ。

 

 

 

そう思った時、

私に使命が降りてきました。

使命を「思い出した」と言った方が的確かもしれません。

 

 

『伝えるのだ』

 

 

『私が経験してきた事を

 伝えるのだ』

 

 

『それを伝える事で、

 人々の心を軽く、

 明るくし、

 喜ばれる活動をするのだ』と。

 

 

 

そして今。。。

 

 

私は自分の事、自分の人生を

心の底から愛しています。

 

あの経験があったからこそ

今日の私があるんだと

本当に感謝しています。

 

 

 

更に

 

 

私は自分の事、

自分の人生、

自分の可能性を

本気で信じています。

 

この歳になって

ようやく自分を許すことが出来ました。

 

 

「許す」とは

 過去の呪縛から解放されて

全てを受け入れた上で

今を生きる事なんですね。

 

 

だからこそ

こうして今、

私は全てを告白出来たのでしょう。

 

 

そう。

 

 

誰でも

いつでも

何歳からでも

『最幸の人生』は創れるのです!

 

 

その想いを込めて

ブログのタイトルを

 

『ラビアンローズ

(バラ色の人生)』

 

としました。

そんな私が

日々の本音を綴ったリアルな1,000日修行。

 

これからも

お付き合い頂けると

嬉しいです(^-^)!!

 

私は夢を叶え、日本に貢献出来る人間となりました。

有難うございます!!

 

本日も最後までお読み頂き有難うございました。

心からの感謝を込めて。

「有難う。愛しています。」

中西紀二

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No.670 2018年11月1日” への2件のフィードバック

  1. 誰でも「好きでもない自分を演じる」のは辛いですよね。
    自分で望んだわけでもないのに、とんでもない重荷を背負ってしまい、さらに罵声を浴びる毎日。深夜高速で帰る道すがら何度も「ここでハンドルを切ったら楽になれるかな?」と思ったことがあります。
    何とかビジネスをコントロールできる様になったのは、50代になってからでした。でも時価総額を2倍にしても罵声は止まりませんでした。かえって、強欲な人びとを集めてしまいました。

    今は、重荷を下ろすことができ、ノンちゃんから教わった「魂の成長」に取り組んでいます。

    1. 角田さん、コメント有難うございます。
      私も本当の意味で重荷を下ろすことが出来たのはここ2,3年の事です。
      過去には色々ありましたが、大事なのはこれから先。
      共に「魂の成長」に取り組んでいきましょう!

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