No.957 無分別

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私の志は「日本に貢献出来る人間となること。」

そこにゴールはありません。

私の使命である「想いを伝えること」を通して

生涯この憧れを追い求めながら生きていきます!

私の人生の目的は

「人に喜ばれる存在となって

 自分自身も幸せになることです。」

 

おはようございます。

今日は74回目の終戦記念日ですね。

今から74年前、

第二次世界大戦(太平洋戦争)において亡くなられた

英霊の方々は約230万人と言われています。

その中には特攻隊として自らの命を捧げた

若者達も少なくありませんでした。

この国を護るために

その命を捧げた英霊の方々のおかげで、

今の平和な日本がある。

これは厳然たる事実です。

今日はそのことに想いを馳せ、

先達の方々へ感謝の想いを捧げることが

現代を生きる私達の務めなのではないでしょうか。

 

『無分別』

 

「陰陽の法則」や

「表と裏の法則」と言われるように、

この世は相対する

2つの概念によって成り立っています。

男と女、

右と左、

昼と夜、

天と地、

生と死、

白と黒、

善と悪、

優と劣、

といった具合に、

全ての物事は

対立する2つの概念に分けられるのです。

そして、私達の思考は

その対立概念のどちらか一方に

偏ってしまうものです。

その対立概念の一方を良しとし、

他方を排斥しようとしてしまう。

ここに

私達の苦悩の根元が

あるのではないでしょうか?

 

私達が人生に悩み苦しんでいる時。

それは対立概念の一方に偏り過ぎているものです。

二分された片方のみを良いと想い、

極端な場合には、

片方でなければならないと信じてしまっている。

私達はどちらかに偏るから苦しむのだ。

「こうあるべき」という固定観念、

「自分が劣っている」という劣等感、

「こっちが正しい」というエゴイズム。

それら全ては

対立概念の一方に偏り過ぎていることが

その要因となっているものです。

 

そんな時、

心掛けたいのが「無分別」ということ。

つまり、

相対する2つの概念を分けない。

対立概念の一方に偏り過ぎない。

世の中の矛盾を呑みこんでしまう。

そう、

この世の中は矛盾しているのです。

自分が「こうだ!」と想ったら、

必ずその逆も存在しているのです。

この矛盾する世の中の構造を

丸ごと受け入れてしまう。

矛盾を裁こうとせずに、許してしまう。

 

こっちが正しくて向こうが悪いと想うから

許せなくなる。

こっちが劣っていて向こうが優れていると想うから

苦しくなるのです。

物事の真の解決とは

対立概念を超えたところにある。

善悪や優劣にとらわれない心こそが

本当に美しい心なのではないでしょうか。

なかなか実践するのは難しいですが、

私達は人間的に成熟するほど

こだわらず、裁かず、分けなくなるものです。

物事を2つに分け、

そのどちらかに偏った思考が

私達を苦しめるのです。

 

矛盾をあるがままに受け入れて、

「無分別」の境地を心掛けたいですね。

私は志を成し、日本に貢献出来る人間となりました。

有難うございます!!

 

本日も最後までお読み頂き有難うございました。

心からの感謝を込めて。

「有難う。愛しています。」

中西紀二

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No.957 無分別” への1件のフィードバック

  1. う〜ん、どこかの大統領に聞かせたい。

    ちなみに個人的には第二次大戦で戦った人々を英霊ではなく犠牲者と考えています(お許しください)。
    誰の犠牲者か?
    もちろん日米の国力の差に向き合おうとせず無謀な戦争を始め、ミッドウェーにおける主力戦力の喪失すら隠蔽し、泥沼化する戦局の悪化を隠蔽し続けた軍上層部もそうです(でもよく似た行動をする企業上層部って、今もたくさんいませんか?)
    しかし、そもそも戦争の原因は何だったのでしょうか?国内物資の不足をアジア全土で補おうとし、そのために間接的であってもアジアの人々に忘れることのできない苦しみを与えたのは誰でしょうか?国の話を鵜呑みにして、自分たちに都合の良い話だけに有頂天になり、議会をして軍部の行き過ぎに歯止めをかけることを怠ったのは誰でしょうか?
    国民は確かに被害者ではありますが、その責任は全くなかったのでしょうか?
    「二度と繰り返さない」という式典(参加者は高齢化していく)だけで再発を防げるのでしょうか?
    人類の歴史を見れば、為政者は、必要と思えば、いつでも、表現だけ変えて、冷酷に、残酷な判断を繰り返しています。
    その時我々は、政府の暴走を止めることができるのでしょうか?例えば今も、有権者の半分は、韓国への制裁に賛成しています。その人たちは、今後起きるリスクを理解しているのでしょうか?アメリカの本質的変化を理解しているのでしょうか?それに対応した我が国の各種戦略ビジョンはできあがっているのでしょうか?政府に丸投げにせず、感情的にならず、自分たちの頭でも考え続けているのでしょうか?

    スイスやドイツにも友人がいます。
    彼らは戦争の総決算(自分たちのやるべきだったことを考え直すこと)を行なっています。
    その結果、スイスはNATOに加盟していません。徴兵制もあります。
    ドイツは、EU内で生きていくため、徹底的に反省と謝罪を行いました(主要都市のあちこちには碑文があります)。そのドイツですら、近年はポピュリズムが横行を始めています。

    我が国には、危険な兆候はないでしょうか?国民が行うべき責務を果たしているのでしょうか?民主主義の丸投げは、アパマン経営の丸投げより、もっともっと悲惨な将来を招いてしまう気がします。

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