No.443 『自力と他力』

LINEで送る
Pocket

私の夢は「日本に貢献出来る人間となること。」

天から授けられたこの力を世のため人のために使わさせて頂き

必ずや夢を叶えてみせます!!

私のキャッチフレーズは

「不器用だけどひたすら実直に。

 あなたの喜びが私の幸せです。」

 

おはようございます。

新しい週がスタートしました!

私は今朝も10kmランニングをして気分爽快!

今週も幸先良いスタートとなりました。

皆様、今週も大いに楽しんでいきましょう!

 

『自力と他力』

 

「自力」と「他力」という言葉を耳にします。

これは仏教用語でその解釈も様々なのですが、

果たして私達は

自力で「生きている」のでしょうか?

それとも

他力によって「生かされている」のでしょうか?

 

今朝は「自力」と「他力」について

持論を述べさせて頂きたいと想います。

 

改めて私の半生を振り返ってみると、

人生の節目となるような出来事はことごとく

私の力だけではどうにもならないものばかりでした。

 

郵便局長になるつもりで退職したのに、

家業を継ぐようになったこと。

 

不動産鑑定士の試験にどうしても

受からなかったこと。

 

宅建の資格を取ったら、不動産会社ではなく

予備校講師として声が掛かったこと。

 

東京の大学に行きたかったのに

一つも合格出来なかったこと。

 

妻との出会いに

子供達との出会い。

 

当時は自分の想いとは違う

不本意な結果であった事でも、今になると

全て必要な要素であったのだと気付かされます。

 

そう。

 

私は自力の全く及ばない何かの力によって

今、ここまで運ばれてきたかのようです。

 

今朝、目が覚めて

ほぼ無意識のうちに

ウェアに着替えてランニングをし、

コーヒーを淹れて朝食を摂り、

身支度を整え、出勤し今に至る。

これらの一連の動作は全て

「自力」のように想えますが、

よくよく考えてみると

私は自分で作ったわけではない服を着て、

自分で採取したわけではないコーヒーを飲み、

自分で組み立てたわけではない車に乗っている。

パソコン、スマートフォン、椅子や机に

コーヒーカップ。

普段食べているお米、味噌、肉、野菜、魚。

水も電気もガスだってそう。

家に

道路に、、、

何一つ自力で作ったものはありません。

それはおろか、

こうして言葉を話せるのも

両手両足が自由に動くのも

誰かのおかげではないでしょうか?

 

私達は何も出来ない状態で生まれてきました。

全く無力の状態で生まれてきた私達。

そもそも私達に自力など無かったのです。

 

それから

色々な人達のお世話になりながら

様々な出来事があって今日に至る。

 

郵便局長にならなかったから、

不動産鑑定士試験に落ちたから、

妻と結婚出来たから、

三人の子供に恵まれたから、

今がある。

もし、何か一つでも違っていたら

今の私はないだろう。

 

そう考えると。

 

1974年8月7日の8:46に生を受けて

今この瞬間まで。

私は生きてきたのではなく

生かされてきたのだと気付く。

すると、

目の前に起きる全ての出来事に対して

感謝の想いが湧き上がってきます。

 

私達は自力で生きていると想うから、

人生に悩み苦しむのかもしれない。

他力によって生かされていると知った時、

全てが感謝に変わるのではないでしょうか?

 

自分の無力さを知り、

全てに感謝出来る生き方こそ

最幸ではないか。

 

私はそう想います(^-^)!!

私は夢を叶え、日本に貢献出来る人間となりました。

有難うございます!!

 

本日も最後までお読み頂き有難うございました。

心からの感謝を込めて。

「有難う。愛しています。」

中西紀二

LINEで送る
Pocket