私の志は「日本に貢献出来る人間となること。」
そこにゴールはありません。
私の使命である「想いを伝えること」を通して
生涯この憧れを追い求めながら生きていきます!
私の人生の目的は
「人に喜ばれる存在となって
自分自身も幸せになることです。」
おはようございます。
今朝は中国古典である『陰隲録』から
抜粋した内容を綴りたいと想います。
『運命創造論』
中国の明代に、
袁了凡(えんりょうぼん)という人がいました。
袁少年は早くに父を失い、
母の手ひとつで育てられました。
代々が医者の家系であったこともあり、
彼も医者を目指して医学の勉強に勤しんでいました。
そんなある日のこと。
不思議な老人が彼の前に現れ、
「お前は役人として成功する相を備えている」と
予言したのです。
更には、
何歳で科挙の試験で何番目の成績で合格し、
何歳でこれだけの俸禄を手にする身分となり、
何歳で地方長官に選ばれる。
そして、
「53歳の8月14日に自分の家の表座敷で死ぬ。
残念ながら生涯子供はできない。」
とまで言い切ったのです。
袁少年はその言葉に衝撃を受け、
老人の言葉の通りに方向転換して
役人を目指すようになりました。
それからの展開は老人の占い通り。
老人が予言した年齢の時に
予言通りの成績で科挙の試験に合格し、
その後も予言通りとなっていきました。
その中で袁氏は、
人間の運命というものは全てが決まっていて
自分ではどうすることも出来ないのだと
想い定めるようになり、
次第に「ああしたい」「こうしたい」という
意欲がすっかり失せてしまいました。
そんな時、
袁氏は仕事で南京付近のあるお寺に
滞在しました。
そのお寺の住職が
袁氏の座禅の様子を見て、
驚いた様子で彼に尋ねたのです。
「あなたの組む座禅には
一切の迷いが感じられない。
その若さでありながら
余程の修行を積まれたのでしょう。」
それに対し袁氏は、
「いや、特別の修行などしていません。
実は少年の時に
ある方に占ってもらったことがあり、
いろいろと予言をされたのですが
それが一つも狂っていないのです。
それからというもの、
人生において余計な煩悶やあがきは
一切やめました。
ただそれだけのことです。」
すると、
それを聞いた住職は
鬼の形相で袁氏を一喝したのです。
「余程の修行を積まれた達人かと想いきや、
何と愚かな馬鹿者であったか!」
住職は続けます。
人間の運命が始めから決まっているのなら、
釈迦や孔子がなぜ苦労したのか。
偉大な人が苦労をして学問修業をしたのは
それによって人間を創ることが出来るからだ。
たしかに命(めい)というものは存在する。
しかし、
人間はその命を知り、命を立てることが出来る。
これは他の動物には不可能な、
人間だけに出来ることである。
どうすればどうなるかを研究し、
それによって自らを創造することが出来る。
宿命や運命を立命に転換することが出来る。
運命は我より成すものなのだ。
袁氏は愕然とし、そして目覚めました。
それを機に発奮した彼は
住職の教えに従って、
自ら立命すべく精進を重ねていったのです。
するとどうでしょう。
あの老人の予言がことごとく外れ出したのです。
結局、袁氏は74歳まで生き、
一子をもうけることも出来たのでした。
この古典は私達に教えてくれています。
確かに運命というものは存在している。
人間は何もしなければ
その運命の奴隷となってしまうが、
自ら発起し、精進を重ねることで
運命を創造し、立命を果たすことが出来る。
自ら立命を果たす人生でありたいですね。
私は志を成し、日本に貢献出来る人間となりました。
有難うございます!!
本日も最後までお読み頂き有難うございました。
心からの感謝を込めて。
「有難う。愛しています。」
中西紀二